遺された者達

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 北の大陸は雪の降り積る長い冬から抜け出し、ようやく春のやんわりとした暖かさを感じられる時期になっていた。少しずつではあるが、若い緑を増やしつつあるこの冬の大地で、雪解けを含み、嵩を増している川辺にキャンプを張っている一団がいた。もう十数年、北の大陸で各地を放浪しながら数々の依頼をこなしている氷狼――アイスウルフ――という名の傭兵隊だ。

「ツェーリンさん」

 三角錐に張られたテントのひとつに、十五・六の少年が慌てた様子で駆け込んできた。

「どうした、カント」

 名前を呼ばれた痩せた男は、テントの中に持ち込まれた小さな台の上に質の良くない紙を広げていたが、少年の慌て方に眉を顰めて振り返った。カントと呼ばれた少年は、ツェーリンの細い目に合うといつものことながら少し俯く。そういう性格なのだ。最近ではツェーリンの方もそれに慣れて、小言を言う気もなくなってしまった。

「白の魔術師が、頭領に手紙を持ってきたと」
「頭領に手紙? 魔術師が、か?」

 奇妙な話だった。魔術師という人種をこの土地で見かけること自体がそう多くないが、一般的に他人から信用されない魔術師が、誰かの使いで手紙を届けることなど滅多にない。

「はい。……その、ゼファという方からの手紙だと……」

 その名前を聞いて、ツェーリンの手は握っているペンを折ってしまいそうなくらい強張った。

「待たせてあるのか?」

 強張りをとくことのできないままの声音で尋ねると、カントはそれを感じたのか少し心配そうに眉を顰めて頷いた。ツェーリンが決断するのに時間はかからなかった。

「よし、私が会う。頭領にはまだお伝えするな」

 ツェーリンは立ち上がるとカントの脇を抜けてテントの出口へ向かった。テントを出るとすぐにカントの言う魔術師の姿がツェーリンの目に入った。背の低い真白なローブ姿。確かに白の魔術師ならまだ他人に信用されることもあるだろう。

「ゼファからの手紙を持ってきてくれたそうだな。ご苦労だった。手紙は私が預かろう」

 ツェーリンが手紙を受け取ろうとして手を伸ばすと、魔術師はローブで隠された顔をつと上げて、その奥からツェーリンの顔を観察したようだった。ツェーリンもその視線に臆することなく相手を観察する。子どものように背の低い魔術師だった。袖口のゆったりとしたローブは、広がった袖と裾に反して腰が細く作られている。ローブ自体も子ども用か、それとも女物なのだろう。どちらにせよ――あるいはどちらもであっても――ローブで隠されていては正体が掴めない。

「……尊公がツェーリン殿ですね」

 かなり露骨に探る目を向けていたツェーリンに、魔術師は軽やかな声で尋ねてきた。思っていたよりも低い声。どうやら女ではないようだが、成人男性にしては声が高い。やはりまだ子どもなのだろうと思うことで、ツェーリンは名前を言い当てられた動揺を上手く拡散してみせた。

「そうだが」

 きっと以前氷狼が仕事で関わった人物から、ツェーリンのことを聞いてきたに違いない。ツェーリンは仕事の交渉役として隊の中でも顔を知られている方なのだ。だから慌てることではないし、魔術師相手に動揺を見せるのは愚かなことだった。

「ゼファ殿は頭領に取次ぎを頼めば、まず尊公が出てくるだろうとおっしゃいました。ですが、直接頭領に会って渡して欲しいと」

 上手く隠しおおせた動揺はそのままツェーリンの胸の中で凍りついた。ゼファの名前を聞くだけでもその身は緊張するというのに、この魔術師の言い分を信じるのなら、確かにこの傭兵隊を良く知ったゼファの言いそうなことだった。

「……カント、頭領に伝えてくれ。白の魔術師が、ゼファから尊公宛ての手紙を持ってきたと」

 緊張を孕んだツェーリンの命令に、カントは頭を下げて大慌てでキャンプの中を駆けていった。彼がツェーリンの言葉を伝えるまで、少し時間を置くべきだった。

「分かってはいるだろうが、ここは傭兵隊だ。妙な動きをしたら命はないぞ」

 鋭く威嚇したところで、魔術師の表情は見えない。元々ツェーリンよりも頭ひとつ半小さい魔術師は、ローブで覆ったその頭部を、ツェーリンに向けて微かに下げて見せただけだった。

「……承知しています」


 先にカントからの報告を受けていたザードは、どうしてもと強固に言い張るエリオに負けて普段なら自分が座っているはずの場所にオルドスを座らせ、自分はその脇に控えて目立たないようにしていた。ザード自身、魔術師という輩に会ったことはあるし、彼らがいつも信用の置ける人間でないことは十分に承知していた。しかしエリオの反応は正直過剰だと思ってもいた。ザードも魔術を使う。オルドスを身代わりにさせるよりは、自分がいつものように座っていた方が安全ではないかと思うのだ。

 しかし何も問題がないのならそれで良い。オルドスはいつもザードがそうしているように、椅子に座って足を組んでいた。その足元にはフライナーを寝そべらせてある。エリオはザードの側で普段あまり見せないような厳しい顔をしていた。

 そうして待っているとテントの入り口が上げられ、先にツェーリンが入ってきた。ツェーリンはこちらがこういう準備をしていると思っていたのだろうか、ザードの方には一瞥もくれず、オルドスに向かって恭しく頭を下げた。そしてツェーリンが頭を上げると、続いて小柄な魔術師が入ってきた。白いローブはその縁にだけ金糸で文様が縫われているシンプルなつくりで、その魔術師は自分の背丈ほどの白い金属製の杖を持っていた。白、黒、灰の魔術師はいずれも魔法の発動に杖を必要とはしないから、ただ旅のために持っているのだろう。そしてその魔術師は、他の多くの魔術師がそうであるように、ローブについているフードを目深に被って目を見せないようにしていた。

「ゼファからの手紙を持ってきてくれたそうだな」

 オルドスが入ってきた魔術師に呼びかけた。ザードが言うよりもよほど傭兵隊の頭領らしい。内心苦笑しながらザードは事態を見守った。魔術師が素直に手紙をオルドスに渡して去れば、特に何も問題はない。その手紙に魔術がかけられているかどうかは、ザードか、フライナーが見分けることができるはずだ。

 魔術師はフードの下から正面に座るオルドスをじっと見つめていた。そして手紙らしきものを懐から取り出すと、相変わらず正面を向いたままこう言った。

「……近づくなとおっしゃるのでしたら、こう致しましょう。手紙はここに置いて、私は下がります」

 オルドスは訝しげに眉を顰めた。魔術師が何を言ったのか理解できなかったのだろう。しかし魔術師の言葉の意味を理解したツェーリンの体が強張り、エリオの目がさらに鋭くなったのをザードは感じ取った。オルドスを見つめていた魔術師は、ついと視線をザードへ向ける。そこでオルドスもようやく分かったらしい。この魔術師は多分、ゼファか、それとも他の何者からかザードの容姿を聞いていたのだろう。

 しばらくザードは、フードに隠れた魔術師の目と見詰め合った。不穏な空気を感じ取って、フライナーが身構えるのが分かった。魔術師が動けば、フライナーは飛び掛るだろう。それに気付いているのか、魔術師は手紙を持ったまま動かなかった。ザードとの視線も逸らそうとはしない。

「……いや、試すような真似をしてすまなかった。俺が受け取ろう」

 ザードは相手に害意がないことを悟って、一歩魔術師側に足を進めた。すると途端に右から腕が伸びて、ザードの歩みを止めさせた者がいた。

「頭領、止めとけ。相手は魔術師だ」

 エリオだ。彼は鋭くあからさまな敵意を魔術師に向けていた。そしてエリオは背に負っている大剣を抜いて、その剣を魔術師の首に当てた。ザードを止めてから剣を抜き、魔術師へ向けるまでの間は一瞬だった。普通の者ならば、その一瞬の剣圧と殺気だけで腰を抜かすだろう。まして首元に身の丈よりも大きな剣を突きつけられては、その場で失禁してもおかしくない。

 しかし驚いたことに、魔術師は相変わらずそこに立っていた。感じられる呼吸や微かにフードから除く口元を見ても、魔術師が緊張し、恐怖している様子は見られなかった。ただ一時だけ背の高いエリオを見上げるように首を動かし、またザードを見つめただけの反応だった。

「剣を収めろ、エリオ」

 よほど殺気に疎い愚か者か、それとも胆の据わった経験者か、これだけでは判断できなかった。しかしただ魔術師であるというだけで、首元に剣を突きつけられるいわれはない。もしこの魔術師が善意の使いではないとしても、エリオの行動は行き過ぎている。

「嫌だね。魔術師さんよ、手渡しにこだわるわけじゃあるまい? 俺が頭領に渡す。あんたの目の前でだ。いいな」

 ギラギラとした殺気を持ったまま剣を地面に突き刺し、エリオは小さな魔術師に向かって無骨な手を伸ばした。魔術師はその手を見つめ、そしてザードの意思を確認しようとして顔を上げた。ここはエリオの好きにさせようと思ったザードは魔術師に向かって小さく首肯する。

「……良いでしょう」

 魔術師はエリオの大きな手に、持っていた手紙を置いた。エリオは奪うようにしてそれを受け取る。ザードはエリオに向かって言った。

「エリオ、渡せ」
「俺が開ける」

 エリオは手紙を持ったまま頑固にそう主張した。しかし、ザードもそこまでエリオの好きにはさせられなかった。

「俺宛ての手紙だ。渡せ」

 ザードはもう一度そう言って、エリオに向かって手を出した。エリオはしばらく渋っていたが、ツェーリンに名前を呼ばれて、煩そうに顔を歪めるとザードの手に手紙を渡した。

 ザードはその場で封を切り、中の手紙を取り出した。ザード自身、何の魔術の気配も感じられなかったし、フライナーが注意を促さないということは、フライナーも魔術の気配を感じていないということだった。そして案の定、手紙を開いても魔術が作動することはなかった。ザードはその手紙を開いただけで、それが師匠であり、氷狼――アイスウルフ――の先代の頭領、ゼファの書いたものであることが分かった。書いてある文字が、この世界のどこにも存在することのない言語、ザードとゼファの間で作られた暗号文だったからだ。

「……確かに、ゼファからの手紙だ。返事を書けば、持って行ってもらえるか?」

 手紙は長く、この場で読むには時間がかかる。そう判断したザードは、魔術師に向かってそう尋ねた。ザードはもうゼファを探さない、という約束をしていたから、誰かにこの手紙の返事を届けてもらうしかない。ゼファのところから来たというのなら、この魔術師に届けてもらうのが一番だろうと思ったのだ。しかしザードの言葉に、魔術師は逡巡する間も見せず首を横に振った。

「いいえ、最後までお読みになれば分かると思います。それがあの方からの最後の手紙です」

 魔術師の後ろに立っていたツェーリンの息を呑む音が響いた。

「……どういうことだ?」

 ザードはツェーリンほど、魔術師の言葉に衝撃を受けなかった。別れる際に、ゼファはもう自分が長くないことをザードに伝えていたからだ。しかしザードよりも長くゼファの元で戦っていたツェーリンやエリオは魔術師に飛び掛らんばかりの勢いだった。

「おい、正直に話せよ、魔術師。ゼファはどうなった」
「亡くなりました」

 ザードは手紙を持ったまま、黙っていた。ツェーリンの引きつった声が聞こえた。

「……馬鹿な……」

 この事態についていけていないのは、ザードの代から仲間に加わったオルドスだけだ。ツェーリンとエリオはこれ以上にないくらいの衝撃に打ちのめされ、もはや言葉もない様子だった。フライナーでさえ動かない。そしてザードは黙ってこの事態を見守っていた。魔術師は自分が起こした嵐に呆然としているツェーリンやエリオには目もくれず、ザードに向かって頭を下げた。

「私の仕事は終わりました。これで失礼します」

 ザードの返事を待たず、魔術師はテントから出て行こうとした。その時ザードは、魔術師の足元から小さな金属音がすることに気付いた。魔術師が歩くたびに、鈴の音のように金属音が響く。テントを出ようとしていた魔術師に、エリオが我に返って叫んだ。

「待て! 頭領はどこで死んだんだ!」

 エリオが思わず先代を頭領と呼んだことに、オルドスの目が厳しくなった。しかしザードは注意しようとするオルドスを目で制した。ゼファはエリオやツェーリンにとってザード以上に特別な存在だったのだ。まだザードの元で戦っている時間よりも、ゼファの元で戦っていた時間の方が長い。それに、突然もたらされた死の便りに混乱しているのだ。

 ザードがそう諦めたのに対して、魔術師はテントの入り口で立ち止まると、エリオに向かって厳しくこう言った。

「……尊公方の頭領はそこにおられる。そして故人の死地からは私も追い出されました。二度と行くことはできないでしょう」

 魔術師の言葉にエリオははっとなって唇を噛んだ。自分の失言に気付いたようだった。魔術師はそんなエリオを見ようともしないで、ザードに向かってもう一度頭を下げ、今度こそテントから出て行こうとした。魔術師がテントをめくると、外はもう既に日が暮れていた。それを見たザードは魔術師の小さな背に向かって呼びかけた。

「……魔術師殿、今日はもう遅い。ここで一晩休んでくれ」

 その言葉に魔術師は動きを止めた。

「急いでおられるのなら、止めはしないが」

 ザードがさらに続けると、魔術師はしばらく動きを止めたまま答えを考えていた。エリオは勿論、ツェーリンまでもザードの提案に良い顔をしなかった。しかし先ほどの失言の気まずさがあってか、口を挟もうとはしなかった。

 魔術師はしばらく沈黙した後、ゆっくりとザードの方へ向き直って頭を下げた。

「……それでは、お言葉に甘えさせていただけます」

 頭を下げたときに魔術師の白いローブの裾が足元に絡んで、また小さな金属音がした。

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